先日オープンした小森応援サイト『MOON LIGH COCKTAIL』、少しづつですが盛り上がって来てるみたいで何よりです!
さて既にご存じの方もいるかと思いますが、この『MOON LIGHT COCKTAIL』というネーミングは、俺が高校時代に組んでいたバンドの名前と一緒で、たまたまあの尾崎亜美さんが金井夕子さんと云うアイドル(誰も知らね~だろうなぁ…)に書きおろした曲の詞の中から見つけだし、その響きとニュアンスが気に入って自分で命名したと云ういきさつがあります。
現時点では俺がSence Of Wonderに在籍していた頃のネタで盛り上がっている様ですが(笑)、それこそシブがき隊、大江千里さん、クライズラー&カンパニーの頃に応援して下さってた方々や、野獣王国やKENSO、他のセッションにお越し戴いている方まで、どんどん気軽にBBSの方に遊びに行って盛り上げてやって下さいませ。お待ちしております!
さて、ここんとこ夏頃発売予定のCDやDVDのトラック・ダウンがたて続けにあって、かなり意識が「良いサウンドとは・・・?」的なモードに傾いている感じなのだが・・・。
通常スタジオミュージシャンとして呼ばれたレコーディングとかでは、自分のサウンドに関して責任を持って最終段階まで携わって突き詰める、と云った事はまずない・・・というか物理的にも出来なかったりする。要するにこういった場合のミュージシャンとしての責務と云うのは、あくまでもプレーの内容であり、音の事に関してはそのプレーヤーがどれだけこだわって奏でた音であっても反映される事がほとんどないまま、プロデューサーやレコーディング・エンジニアの好みによって加工されて行き、結果納得のいかない作品となってしまう事が少なくない。
勿論これが予算のあるアーチストやバンドであれば、レコーディング自体に膨大な時間を費やして、音に関してもいろいろと試してこだわっていけたりするのだが、スタジオ・ミュージシャンとして呼ばれた時にはまずこんな事はありえない。
さて、プレーヤー本人とサウンド・メイクをする側とでは、往々にして「いい音の解釈」に大きな違いと云う問題が存在するのだが、ではそれはどこが違うのか…。
プレーヤーの出している音と云うのは、アンサンブルの兼ね合いの中で、あくまでも倍音を含めた全ての出音を一つの音として解釈しているが、エンジニア側はその楽器の持つ特性の周波数を極端に活かして音をすっきりと細くしたがる。勿論一つの楽曲の中にはいろんなパートがある訳で、それをバランス良く聴かせようとすれば、単体の音をなるべくシェイプする必用性がある。そのことは百も承知している。
だがその結果、プレーヤーの立場からすると一番大切な成分がそぎ落とされたり、逆にそれを隠す為に他の成分が強調されたりとで、どんどんよくない傾向にハマっていき、結果釈然としない音が出来上がって行く訳である。
それにしても常々思う事なのだが、デジタル化が進む前までの音と云うのは、なぜあんなにも素晴らしかったのだろう?コンピューターの進化により、確かに作業自体は便利な傾向になってきてはいるし、手軽にそれっぽい雰囲気の音が再現出来たりするのだが、所詮そこには感情など存在しない。デジタルサウ ンドでいいと思った音は、少なくとも自分の脳裏には焼き付いてはいない様である。
これは数年前に行ったドラムクリニックでの出来事である。クリニック受講者の中にまさにこれからドラムを始めようとする少年がいて、今まで生のドラムを叩いた事がないと云うので叩かせてみた。「ドンドン、ダ~ン、バ~ン、ガシャ~ン、チーン!チ・チ・ダ・チ…」。最初は愉しそうだった彼だが、叩いて行くうちにその表情はどんどん険しくなる一方。そして叩き終わった彼の云った台詞は俺にとっては意外なものだった。「ドラムってこんな音しか出ないんですか…???」。
どうやら彼の脳の中にインプットされていたドラムの音のイメージと云うのは、デジタル加工がされまくり無駄に鋭角でノイジーなエッジの鎧で覆われた超エフェクティブな音だったらしいのだが、当然生ドラムでそんな音は出る訳が無く、クリニック終了後に見たアンケートで彼は、「小森さんのプレーにとても感動し、そして生ドラムの音にとても幻滅した」とその時の感想を綴っていた。
その後彼がドラムを続けたかどうかは知るよしもないが、ある意味彼にドラムという楽器のサウンドを誤認させたと云う点においては、あきらかに音楽を世に送り出している側の責任であると云える。生ドラムには当然出る筈のない音に過剰なエフェクト処理を施した上でCDを媒体として、「これがドラムの音です!」って、これじゃあまるで、痩せるはずのない薬で痩せるとうたっている詐欺まがいの悪徳商法と変わんないじゃん…。
さてこんなところまで話を進めて来て今更なんですが、一体良いサウンドってどんな音なんだ???(おいおいホントに今更だな・・・)。いきなり極論を言ってしまえば、多分「その人がいいと思った音」って事なんだろうけど、これ言っちゃったらこのテーマだけでなく、へたすると万物の答えがそこに向かっていってしまうので、これは回避したい。
個人的な見解では、やはりドラムに限らずすべてのプレーヤーの息吹が聴こえ、表情や艶の見える音を媒体とし、全てを普遍化させた音にこそむしろ美徳を感じている。おっと、ここに「見える」と云う表現を使った時点で、それは既に「音」じゃないと云う方がいるかも知れないが、そう、良い音と云うのは、聴覚だけではなく視覚や嗅覚などの五感や第六感にまでも深く響き渡るものだ。
「音楽」というのは「音」の芸術である。プレーの内容は当然だが、あくまでも良いサウンドと融合して始めて芸術の域に到達するものだと思っている。出来れば状況の許す限り、その音を出している者の当然の義務として、最後の課程まで責任をもって携わった上で世に良い音の作品を送り出していきたい…と云う理想はゼッテー崩さねぇぞ!!!
2004.4.24 雨音はピアニッシモ















