第23回 『祝!プロ生活25周年???』の章

1月 23rd, 2004 by admin

1983年10月1日、ご存じラウドネスのドラマー「樋口宗孝」氏が名古屋の「ワンワン」と云うヤマハ系列の楽器屋で行ったドラム・クリニックで樋口氏本人にスカウトされ、翌年プロジェクト・チームのアーチストのバンドをやってみないか?と云う信じられない様な話をいただいた。暫くして、当時ラウドネスのツアーで西ドイツに行っていた樋口さんからわざわざ国際電話を頂き、オーディションの日程を知らされたのが1984年6月25日。この日は俺の親父の誕生日。
 
そしてペダルとスネアを持って六本木のアマンド前で待ち合わせオーディション会場へ行ったところ、何と他に受けに来ていた人の中にはプロ・ドラマーまで居た。アマチュア歴3年足らずの俺は流石に怯んだが、とりあえずガチガチなオーディションを終えて、当時六本木にあった「渋谷野郎」と云う居酒屋で、樋口さんはじめバンド・メンバーだった方々(ちなみにギターは今B’zで大活躍の松本孝弘氏)と話をして盛り上がりつつも、新幹線の時間の関係で後ろ髪引かれながら早々と席を立った。帰り際、樋口さんに「結果は2、3日中に連絡するから…」と云う言葉を頂き、急いで最終の新幹線に乗り込み帰宅した。
 
ところがオーディションの結果がなかなか来ず、「やっぱプロの人もいたし、これは落っこちたかな?」と諦めかけたその翌日、「合格!一週間以内に上京して来い!」との連絡が来たのが1984年7月5日。そう、なんと俺の20歳の誕生日だったのである…。
 
この日を境に、俺の誕生日と云うのは自分がこの世に生を受けた記念日であると共に、新たにプロ・ドラマーとして歩み始める記念日としての意味合いも持つ事になる。
 
俺達の世界でたまに話題になる、「何歳からプロでやってるの?」と云うどうでもいい様なよくない様なテーマがある。この基準は人によって違うのだが、個人的にはプロダクションに所属していてメジャーレーベルからCDを出しているアーティスト、またはそのサポートミュージシャンとしてライブハウスだけではなく、ホール、野外コンサート、スタジアムやアリーナでの演奏、あるいは大手レーベルのアーティストのシングルやアルバムへの参加を経験して、はじめてプロの仲間入りだと思っている。
 
これは否定ではないんだけど、「内容はどうあれ演奏してお金を貰ったらプロだ!」って云うのは、演奏家の概念と云うかプライドとして成り立たないと思うんだけどなぁ…。中には「気づいたらプロになってた」なんて人もいる。おいおい、気付こうよ!
 
ちなみに俺の場合は、1984年8月8日の大阪厚生年金会館で行われた「難波弘之&センス・オブ・ワンダー」のFMの公開録音が、自分の中でプロと呼べる初めての大きな仕事だった。が、よーく考えてみると、ドラムを始めてすぐに近所の楽器屋の店長に誘われたトリオのロックバンドで、学校に内緒でライブハウスに出演しては既にギャラを貰っていたし(俺達の時代はまだ「ロック=不良」ってみる先公とか居たからサ。まぁ、ある意味間違っちゃいねーけど…ナ!)、高2の時にはいろんな場所で地元の社会人や大学生と一緒に、フュージョンやラテン系のセッション活動を頻繁に行なってはデート代を稼いでいた(笑)。また、高3の時には自分のバンドでライブハウスにレギュラー出演しながら、名曲「夢伝説」でブレークする前の「スターダスト・レビュー」の前座を、中間テスト全教科赤点!と云う快挙を快挙を成し遂げながら無事に努めたりして(運悪くテスト週間だったからサ)楽器代やスタジオ代を稼いだりしていたけど、それをプロだなんて思った事は一度もない。
まぁ、ドラムはちょっとうまかったけどサ…(笑)。
 
高校卒業後もポプコン(今となっては懐かしいヤマハのコンテスト)のエントリー曲のレコーディングやオーケストラ、他にもドラム教室の先生をやるなど、アルバイト的な期間を全て含めるとドラム歴は25年だが、俺の基準ではあくまで今年でプロ生活20周年だ。
 
二十歳でプロドラマーとして誕生し、四十歳になる今年でやっとプロドラマーとしての成人式を迎える。が、まだまだひよっこである。「若者よ夢を持て!」と云われて夢を語ると、「現実を見ろ!」と云われる、何だか釈然としない時代ではあるが(別に俺が若者だと言っている訳ではないよ)、夢を抱いて進んで行かなければ現実も解らないな訳だし・・・。
まぁ何はともあれ、ここから次の20年に向けて新たに頑張る所存であります!と、今回は「青年の主張」的に締めくくってみました。
 
さて、既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、今年から『KENSO』に正式加入する事になりました。
 
偶然にも俺の「プロ生活20年」にあたると云う事で、ドラマー人生のひとつの区切り、そして新たなスタートとして今回のこの参加を非常に嬉しく、又誇りに思っている。新生KENSO…期待していて下さい!
 

2004.1.23. 空が葵い
 

追記:TAMAから絶賛発売中の小森啓資シグネイチャー・スティックが2004年版カタログよりモデル・チェンジする事になりました。発売開始は春頃の予定。これに伴い現行モデルの在庫が無くなりますので、ご愛用の方々は買い貯めしつつ、ニュータイプに切り替えましょう…(笑)。

 
(photo by Takashi Hoshino)

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第22回 『謹賀新年 2004』の章

1月 7th, 2004 by admin

新年あけましておめでとうございます!
 
2004年のスタートです。みなさんはどんな正月を過ごしましたか?
 
自分はと云えば、ナント8年振りに帰省なるものをして、親父としこたま酒を呑んだり、初詣に行ったり、昨秋サポート参加した時の『KENSO』のVTRをまじまじと鑑賞したりと、久しぶりにのんびりとした正月を過ごしました。
 
昨秋から年末までの怒涛のスケジュールの疲れが流石にまだ取れないので、もう暫くはリフレッシュした時間を満喫したいのですが、なかなかそうもいきません。こんな時はハワイにでも行ってのんびりと過ごしたいもんです。あ~っ、ハワイへ行きたい(By大江千里さん)。
 
さて、先月は久しぶりの「野獣王国」のツアーがありました。想像を上回る盛り下がりっぷりには少々戸惑いましたが、無駄にデカイ音、長いMC、音数は相変わらずで、野獣の健在振りを各地にマーキングしてきました(笑)。
 
 期待の新人「樽木栄一郎」君のJR上野駅でのイベントは、40分/2ステージと短かったものの、彼の素晴らしい音楽性が凝縮された、とても愉しいステージとなりました。暮れには彼の新曲もレコーディングしましたし(これがまた実にカッコ良い!)、2004年は樽木君にとって大きな飛躍の年となる事間違い無し。「マチガイナイ!」…(笑)。
 
 一方、高齢化に伴い恒例化?しつつある、調布GINZでの「たつや忘年会せっしょん」。今回はFACE FREEと云う男性ボーカル・ユニットを大フューチャーしつつ、昨年いっぱいで卒業する事になった愛弟子、「前原゛まえてぃ゛篤史」のプロ・デビュー記念を祝し、師匠と弟子のツイン・ドラムやドラム・バトルをやったりと、例年とは違った趣が新鮮でした。打ち上げでは又しても悪酔いしてしまいましたが(どうも毎年この日は泥酔してしまう…)、このライブはずっと続けて行きたいと勝手に思っています。
 
 そしてこちらも恒例化している、年末の「六本木ピットイン・年末スペシャル・セッション・3DAYS」。今年は和田アキラさんと岡田治郎君とのスペシャル・ユニット『A.J.K』での出演となりました。しかも31日は米川英之さん、永井敏己さんとの「米川英之グループ」での出演や、カウント・ダウン・セッションへの出演と大忙し…。まさに叩き納めに相応しい働きっぷりでした。
 
 キーボディストのオリジナル曲をギター・トリオでやる!と云うテーマを掲げた和田さんと治郎君とのユニット『A.J.K』は斬新でとても愉しかったです。二人ともホントに凄い!!!このユニットはいづれ是非また実現させたいと思いました。
 
 カウント・ダウン・セッションは出演4グループでの大セッション大会となりました。恒例のドラム・バトルの方はおなじみ「手数王」こと菅沼孝三氏と、孝三さんの弟子でもあった若手ドラマー外薗雄一との巴戦?となりました。ある意味大晦日の民放3社が放映した格闘技よりも熱いバトルを展開していたのではないでしょうか?それにしても、今回の菅沼氏は凄まじかった…アッパレです!
 
 この年末イベントも気づくと3年連続で参加しているので、今年の大晦日はゆっくりと家で過ごす事・・・、これがある意味2004年の目標です(笑)。
 
 以上今回は新年と云う事もあり、慣れない「ですます調」でお送りしてみましたが如何でしたか?当の本人はすっかり煮つまってしまいました(笑)。
 
と云う訳で、本年も宜しくお願い致します!!!
 

 
2004.1.7
晴れ
 

 
追記:写真左は『A.J.K』(左からK.A.J)、右は前列Fragileの3人(左から水野さん、孝三さん、矢堀君)、
後列左から外薗君、高橋勲君、小森君。

 

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